2014年10月28-30日
28日
昨日に、火山活動を観に行った3人が帰って来たので、早朝5時に宿の前から首都のアディスアベバに向けて出発するバスに乗り込んだ。
バスは今までと比べると一人1シートの席だったので比較的ゆったりと座れた。
バスに揺られに揺られること凡そ14時間、街の明かりが徐々に見えて来た。
都会に来るのは久しぶりだったので人々や車が行き交うのを見て安堵すると同時にそのうるささに苛立ちも覚えた。
宿は大体把握してあったTAITU HOTELに向かうことにした。
ここは1898年に創業したエチオピア最古のホテルだ。
1泊94ブル、約500円と値段もそんなに高くないので僕は暫くここに泊まることにした。
夕食は徒歩10分程の所にWOWバーガーというファストフード店らしきがあったので行ってみた。
だが、ここハンバーガー、油を変えていないのか異常に油っぽい上に味が無い。
肉も堅いし、ポテトも乾涸びて全く美味しくなかった。
挙げ句の果てに腹痛も伴って二度とこの店には行くまいと誓った。
29日
次に行く街、モヤレに向かう準備をするためにまずはバスステーションに向かった。現地人に道を尋ねながら、何とか目的地まで到達した。
モヤレに行きたいと言うとすぐにバスチケットの販売所まで案内してくれ、特にぼられることもない値段だった。
取り敢えず次の街までの確保は出来たので腹を満たすことにした。
エチオピアの食堂は安いのだが、味が微妙な上に英語表記が全くないので頼むに頼めない。
そこで宿舎のブッフェが安くて美味いと評判を聞きつけたので別館に泊まっている僕は本館まで行って食することにした。
美味いというのは除いて確かに種類は野菜からインジェラ、ライスや惣菜と幾多もあって300円とは安い。
ここでトルコでの1日1食生活をふと思い出し、“ああ、そんなこともあったな”と思い出し笑いをしていた。
もちろん皿にふんだんに盛り合わせた料理を3回程おかわりして腹を十二分に満たした。
30日
早朝に一緒に旅をしているこまいさん、ゆうのさんが民族と戯れるためにジンカに向けて出発した。 僕とTさんはアディスアベバに残ることにした。
僕がここに残る理由としては、エチオピアに唯一のテニスクラブが徒歩で行ける場所にあるので、モヤレに行くまでそこでソフトテニスをするつもりだからだ。
早速僕は、GPSを見ながらアディスアベバテニスクラブに向かった。
徒歩で約30分、長い下り坂を終えてテニスコートが見えて来た。
テニスコートは全部で4面、壁うちが1面と思ったよりもしっかりと整備がされているクレーコートだ。
人も少なすぎず多すぎるの人数がおり、に子供がよく目立つ。
そしてよく見ると看板にETHIO-NIPPONと掲げている三菱ふそうの看板があった。
テニスをしている一人の現地人に聞くと、ここのテニスコートは三菱ふそうがスポンサーをしているらしい。
僕も日本人だと彼らに伝えると、嬉しそうに僕に話しかけてくれた。
「お前もテニスをするのか」と言われたので僕は「そうだ、だけど僕はソフトテニスをしているんだよ」と言うといつも通りの反応である「何だそれ」ともう定番の返事が返って来た。
「それを教えたいから明日また来ていいか」と言ったら「勿論だ!」と約束し、この日は帰宅した。
帰宅途中に左目が潰れているいかにも怪しげな男が必死に話掛けて来たが、適当に撒いてベッドの上に戻った。
28日
昨日に、火山活動を観に行った3人が帰って来たので、早朝5時に宿の前から首都のアディスアベバに向けて出発するバスに乗り込んだ。
バスは今までと比べると一人1シートの席だったので比較的ゆったりと座れた。
バスに揺られに揺られること凡そ14時間、街の明かりが徐々に見えて来た。
都会に来るのは久しぶりだったので人々や車が行き交うのを見て安堵すると同時にそのうるささに苛立ちも覚えた。
宿は大体把握してあったTAITU HOTELに向かうことにした。
ここは1898年に創業したエチオピア最古のホテルだ。
1泊94ブル、約500円と値段もそんなに高くないので僕は暫くここに泊まることにした。
夕食は徒歩10分程の所にWOWバーガーというファストフード店らしきがあったので行ってみた。
だが、ここハンバーガー、油を変えていないのか異常に油っぽい上に味が無い。
肉も堅いし、ポテトも乾涸びて全く美味しくなかった。
挙げ句の果てに腹痛も伴って二度とこの店には行くまいと誓った。
29日
次に行く街、モヤレに向かう準備をするためにまずはバスステーションに向かった。現地人に道を尋ねながら、何とか目的地まで到達した。
モヤレに行きたいと言うとすぐにバスチケットの販売所まで案内してくれ、特にぼられることもない値段だった。
取り敢えず次の街までの確保は出来たので腹を満たすことにした。
エチオピアの食堂は安いのだが、味が微妙な上に英語表記が全くないので頼むに頼めない。
そこで宿舎のブッフェが安くて美味いと評判を聞きつけたので別館に泊まっている僕は本館まで行って食することにした。
美味いというのは除いて確かに種類は野菜からインジェラ、ライスや惣菜と幾多もあって300円とは安い。
ここでトルコでの1日1食生活をふと思い出し、“ああ、そんなこともあったな”と思い出し笑いをしていた。
もちろん皿にふんだんに盛り合わせた料理を3回程おかわりして腹を十二分に満たした。
30日
早朝に一緒に旅をしているこまいさん、ゆうのさんが民族と戯れるためにジンカに向けて出発した。 僕とTさんはアディスアベバに残ることにした。
僕がここに残る理由としては、エチオピアに唯一のテニスクラブが徒歩で行ける場所にあるので、モヤレに行くまでそこでソフトテニスをするつもりだからだ。
早速僕は、GPSを見ながらアディスアベバテニスクラブに向かった。
徒歩で約30分、長い下り坂を終えてテニスコートが見えて来た。
テニスコートは全部で4面、壁うちが1面と思ったよりもしっかりと整備がされているクレーコートだ。
人も少なすぎず多すぎるの人数がおり、に子供がよく目立つ。
そしてよく見ると看板にETHIO-NIPPONと掲げている三菱ふそうの看板があった。
テニスをしている一人の現地人に聞くと、ここのテニスコートは三菱ふそうがスポンサーをしているらしい。
僕も日本人だと彼らに伝えると、嬉しそうに僕に話しかけてくれた。
「お前もテニスをするのか」と言われたので僕は「そうだ、だけど僕はソフトテニスをしているんだよ」と言うといつも通りの反応である「何だそれ」ともう定番の返事が返って来た。
「それを教えたいから明日また来ていいか」と言ったら「勿論だ!」と約束し、この日は帰宅した。
帰宅途中に左目が潰れているいかにも怪しげな男が必死に話掛けて来たが、適当に撒いてベッドの上に戻った。